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東みよし町の文化財 西原遺跡

西原遺跡の写真

足代東原遺跡(県指定史跡)の南方約400mの西原にあり、四国縦貫自動車道の建設にともない、平成8年(1996)4月3日~同9年3月31日にわたり発掘調査が行われた。
遺跡は標高75~80mの河岸段丘上で、黒川原谷川によって形つくられた扇状地の南のふちに位置する。吉野川からの高さは約15mあり、400m位北には県教委指定の弥生時代後期末の積石墓群である足代東原遺跡がある。 遺構は、竪穴住居18か所・土抗260か所・柱穴1600か所が検出された。これらは、出土遺物から弥生時代後期初頭(1900年位前)、後期末(1750年位前)、中世(鎌倉時代~戦国時代)の3つの時代に大別することが出来る。
ここの遺跡では、弥生時代の集落は東側に分布し、西側には中世の集落跡が広がっていることが確認された。さらに弥生時代の集落では後期の始め頃の住居跡は北側にあり、後期の終わり頃は南側に広がっていることがわかった。住居跡は直径4~8mの円形または方形で入口と思われる凸部がある。また地面を約20~40cm程度掘り込んで床面を作っていることから竪穴住居と呼ばれ、内部には中央に炉があり、その近くに調理代としての台石が据えられていたものもあった。
この遺跡の住居跡からは、主に甕形土器、鉢形土器などが多く出土しており、日常生活の場であったと考えられる。また、住居跡からは石鏃や、その材料となるサヌカイトの破片が多く出土し、工房的(注1)な性格の住居もあった。住居の中の遺構からは、炉の跡と共に、貯蔵に用いられたと思われる土坑が見つかっている。また、ここからは、壺・甕・鉢など、その他祭祀に用いたと思われるミニチュア土器と呼ばれる小型の土器も出土した。その他に出土した遺物は、稲などの収穫に使用したと考えられる石包丁、木の伐採や加工に使用されたと考えられる磨製石斧、木の実などをすりつぶすのに用いられた敲石などの石器類や糸を防ぐための土製の紡錘車なども出土した。また、緑色凝灰岩製の装飾品である、「管玉」が住居跡などから5点も出土していることが注目される。
今回の調査で、旧三好町東部において、弥生時代中期~後期の集落跡が確認できた。出土した遺物から、この遺跡は弥生時代後期より集落が形成されはじめ後期の末には一旦集落がとだえ、中世になりまた集落が作られていることが明らかになった。
今後遺物の検討により、同時代の墳墓群である、県教育委員会指定の足代東原遺跡との関連が、明らかにされることが期待される。

  • 注1 工房
    石器や土器を作る仕事場

(三好町の史跡と遺跡より)

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