美濃田大橋北詰の小山に滝宮神社があるが、この小山に東昼間城が在ったと云われている。
古城録類には東昼間城について次のように書かれている。
- 古城記写(元亀3年(1572年))
- 三好記(寛文2年(1662年))
「佐々木左京之進末孫也、当家は佐々木太朗定綱、藤原紋藤の丸井の字」 - 阿波諸将記
「天正年中ニ落城、城主ハ佐々木右京之進」 - 阿波志(文化12年(1815年))
「昼間塁ハ昼間東村ニ在リ、佐々木右京之進」 - 阿波国三好郡村誌(明治14年(1881年))
「本村東南の方字土居ニアリ、平面ハ方八間、古城記ニ曰ク、東昼間城天正年中落城、主将佐々木右京之進ト、阿波志ニ曰ク。佐々木右京之進、讃岐守高氏之後昼間東村ニ居ス、其先高綱自ラ讃岐ヨリ出来リ居ス、小笠原氏ニ隷ス、天正中大西氏ニ興シ、重清類ヲ攻、後覚養ト共ニ戦死」
これらの古記録によると、東昼間城の主将は佐々木京之進といい天正年中(1573年~1585年)に落城したことが分かる。あるいは長宗我部との戦いに敗れ落城したのではあるまいか。
城跡の北に土居や城と呼ばれる字名がある。城跡の小山に多くの兵士が常駐することは無理と思われる。平時は城跡の北の平地で生活をしていたのであろう。なお、城跡の北の平地で生活をしていたのであろう。
城跡の北側を通る高速自動車道建設の事前調査として、発掘調査が行われたが城跡に関係する遺跡は発見されなかった。しかし、発掘地の北側に方形区画の屋敷地の存在が窺える個所が認められた。なお、現在城跡に滝宮神社が建立されているが、東昼間城との関係は不明である。
(三好町の史跡と遺跡より)