この五輪塔は撫養石で、高さ191cmの立派な五輪塔である。地輪の正面には「寛永五年(1628年)九月二日 道高禅定門」右側面には「藤原朝官藤川城四良」と刻されている。(朝官とは朝廷に仕える役人)
空輪、風輪が一つの石で作られており、先端の形状や火輪の反りの具合等古風な形態をよく表している。風化も少なく、彫りは浅いが文字も明瞭で、四方に五輪種子が刻されている。年代の明らかなものでは、郡内(旧三好郡)最古であり、大きさにおいても郡内(旧三好郡)最大級のものである。
行常の藤川信治氏が管理しているが、藤川城四良については不明である。
同家の系図によると、「天正十三年(1585年)秋、天努城落城によってこの地に来る」とある。
禅定門という戒名は中級武士のものである。
また、この五輪塔の北側に、高さ142cmで寛文五年(1665年)の道清禅定門(俗名14 藤川茂美良)の五輪塔がある。五輪塔は現在は供養塔としての建立が多いが、昔は墓石としての建立であり、旧三好郡では年代の明らかなものについては、寛永五年(1628年)~貞享五年(1688年)の60年間に集中している。
(三好町の文化財より)