昼間の天椅立神社の北北東の小字を立法寺といい、古代から中世の屋根瓦が数多く出土している。従って、このあたりに立法寺が建立されていたことは確かであろう。
昔は田の中に大きな石が2個あり、腰掛け岩といい、立法寺の礎石と言われていた。現在は天椅立神社の境内に置かれている。また、この南の小字を京伝(経田)といい、立法寺の所領地であったのではなかろうか。
立法寺跡より出土した鐙瓦(軒丸瓦)は直径16cmで、やや小型の破片であるが全体を推察することができる。このような紋様を複弁八葉蓮華紋といい、外側に鋸歯紋がめぐらされている。焼きも浅く、このような形式のものは白鳳期(644年~705年)のものと言われている。 丸瓦はやや薄く、焼きも良く、鎌倉時代(1192年~1333年)のものと言われている。従って、立法寺は白鳳期に創建され、中世代まで続いたのであろう。
現代の瓦とは異なり、このような厚くて重い瓦を屋根に乗せた建物であったので、柱なども太くて丈夫な立派な寺であったと想像される。しかし、戦乱の世となり、朝廷や幕府あるいは有力な貴族や荘園の保護がなくなり、廃絶したのであろう。
(三好町の史跡と遺跡より)