大正11年(1922年)2月発刊の「晝間村史」には次のように記されている。
「光明寺は今に鎮守を形見に遺して竹原神社という。同神社の棟札で最も古いものを見ると、明和二年(1765年)十月吉日当所大明神とあって、庄屋與一右衛門、別当願成寺とは見えるが、神主は唯近藤の二字しか見えない。併し近藤丹後であるのは確かである。祠の東南大凡参拾間(60m)の處にある敷石は確かに、光明寺の敷石である。
光明寺の寺石跡より一寸南に護寺田という地のあるのは、同寺維持の為に置いた保護田の跡であろうと思う。」とある。
竹原神社は昼間字下光明寺にあり小さな祠である。また光明寺の敷石といわれている石は、玉木友一氏の庭先に祀られている。さらに光明寺に続いて南に後地田という小字があるが、護寺田の変化したものであろう。
また、高田喜六氏宅の敷地より誕生釈迦立像が出土しているが(同氏所持)白鳳期の作品といわれ、元光明寺が所持していたものでなかろうか、とも言われている。これらのことから考察し、下光明寺のどこかに光明寺があったことは確かである。
東みよし町の文化財 光明寺跡
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