土取遺跡は小川谷にかかる増川橋の上方(北)標高150m位の所に位置し、農山村過疎対策事業による公営住宅建築のための事前調査として、昭和47年(1972年)7月27日~8月15日に発掘調査が行われた。
遺構
平面図のほぼ中央に位置するAの区画において、竪穴住居跡1か所が検出された。この遺構は西半分のみの検出であったが、直径は約7mで20cm位の深さの溝をもっている。
遺物
1.土器
土器はほとんど弥生土器であり、全体的に粘土の質が悪く、保存状態も悪く非常にもろい。住居跡からは壷形土器、甕形土器、高坏形土器他の部分からはこれら以外に、鉢形土器が出土している。
2.石器
採集された石器は約300点あった。石材としては、サヌカイト、緑色片岩、砂岩、チャートなどが使われていた。種類として石槍、尖頭器、石鏃、直線刃削器、石錐、石斧等であった。
この遺跡は弥生期の高地性集落跡で、高地性集落本来の防御的機能を有しつつも、後述の大柿遺跡となんらかの関わりがあったものと考えられる。
(三好町の史跡と遺跡より)