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東みよし町の文化財 条里の遺構

文化財の写真です

説明1

三加茂地区には「醍醐寺遍智院領金丸庄(西庄、中庄、毛田)」と「賀茂社領福田庄(東加茂、中加茂、西加茂)」、「稲用保」の荘園の名残として、均等に区画された条里の遺構が各所に残っている。

説明2

三加茂町の平地部は碁盤の目のごとく道・遺構が縦横互に直角に相貫いて居るのを見ると常に平城京を思わしむるのである。此れは大化の改新による土地の区画制度が四国の中央なる三加茂地区の山間部の平地にまで行われた事が想像し得るのである。
昔の土地区画法である条里は何時頃始まったものかというと、いろいろ説はあるが大化の改新には田地の私有を禁じ公地と改めて法定の口分田を貸与する事になったから、その土地の所在地を明らかにする必要があったし、当時は頼りに支那文物採用の時代だったから恐らく此の当時から起こったものと想像し得るのである。而して条里の制は和銅6年(713年)平城京成りし時尺度の改正あるを見ると此時より始めしものと思われる。爾来各地に行われて応仁、文明頃の文書等に条里を注しあるを見れば此頃まで行われたること明らかである。
条里制とは、奈良朝当時に行われた土地区画制度で、この一区画は6町4方であり、これを36に分けて其の一を一坪二坪と呼ぶ。36坪を合せて即ち6町4方を里とする。36里を条とする。条は西より起こり東に行き36条を限る。(土地により36条以上に至る所もある)

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