大柿遺跡は昼間の大柿・堂ノ本・石橋・宮の前に属し、農免道路の南方80位の所にあり、東西約300mにわたって発掘が行われた。昭和49年(1974)10月水路工事実施のため、耕作土の排土作業中、耕土の中に打製石斧や弥生土器片等が包含されていることを研究者が発見し、通報があったので、直ちに事業者立会のもとに現地調査を行い、確認すると共に作業の中止を要請し、昭和50年(1975)6月から翌年の2月にかけて発掘調査を行った。
第一調査区を県教委区委員会が行い、第二調査区を県内考古学研究者が担当し、相互が協力し発掘調査が行われた。
発掘調査の結果、大柿遺跡は、弥生時代~中世代の遺跡で、出土遺物から、弥生時代から中世にかけて、人々が集落をつくり生活していたことがわかった。特に、弥生時代の中期および後期の竪穴住居跡では多量の安山岩の細い剥片や、石鏃・石錐などの未製品や、さらに床面からは石器加工台が出土し、石器の制作が行われていたと思われる。
遺構
竪穴住居跡が弥生時代11か所、古墳時代16か所、時期不明1か所の計28か所。建物跡は、弥生時代4か所、古墳時代7か所の計11か所。弥生時代~古墳時代を通じて貯蔵穴が80か所。土壙墓(注1)が10か所。溝状遺構が30か所という膨大な遺構が検出された。
遺物
1.土器
甕形土器・壺形土器・須恵器(注2)・土師器(注3)などが出土した。
2.石器
石鏃・石錐・打製石斧・磨製石斧・石包丁・環状石斧・石釜・石皿・砥石などが出土した。
3.その他の出土遺物
有孔円盤型土製品・球状土製品・土錘(注4)・銅銭・管玉(注5)・丸玉・下駄などが出土した。
- 注1 土壙墓
死者を埋葬した穴。 - 注2 須恵器
良質の粘土を使い轆轤で形を作り、高温で焼成した土器で、暗青色のものが多い。食器や貯蔵用の壺や甕が多く、祭器使ったものも多い。 - 注3 土師器
素焼きの赤褐色の土器。 - 注4 土錘
魚を取る網につける重り。 - 注5 管玉
古代の装身具、直径5mm、長さ30mm位の管状で、多くは翡翠、瑪瑙、碧玉などで作る。
(三好町の史跡と遺跡より)